多文化共生は可能か?儀礼的無関心とは!?

こんにちは!

コロナの緊急事態宣言は5月6日までとなっていますが、その日以降すぐに解禁されるんでしょうか。気になるところですね。

さて、今日は埼玉県の芝園団地という場所をモデルケースとした多文化共生について、ネット上で見つけた記事を紹介していこうと思います。

以下記事の抜粋です!

「埼玉県川口市に位置する芝園団地は、1978年に日本住宅公団、現在のUR都市機構が建てた賃貸住宅です。1990年代から外国人居住者が増加し、現在は約5,000人の住民のうち50%以上が中国人となっています」

「中国人住民が増加する過程では、マナーに関するさまざまなトラブルが頻発しています。2000年代には、ゴミが散乱し分別ができていない、自宅からゴミ捨て場にゴミを投げ捨てる人がいるなどの苦情が日本人住民から寄せられていました」

これは私の意見ですが、おそらく、ゴミの分別等のマナーについては、住宅の掲示板やビラに日本語でしか説明書きがなく、読むことができないといった問題があったのではないかと思います。そこでこの芝園団地で発足したプロジェクトがあります!!続きます!

「芝園団地における、日本人住民と中国人住民の共存・共生を目指した取り組みの1つが、2015年に発足した「芝園かけはしプロジェクト」です。芝園団地で地域活性化活動に取り組む学生ボランティア団体であり、高校生から大学院生まで、2018年11月時点で35名のメンバーが所属しています」

「「芝園かけはしプロジェクト」では、多文化交流クラブや芝園サロン、地域行事への参加や交流イベントを企画しています。初回のイベントでは、差別的な落書きがあった団地内のベンチを日中住民で塗り替えることで、友好的な関係の形成につとめています。交流イベントは企画段階から住民とともに話し合い、参加者の主体性を高める工夫をしています」

このプロジェクトは多文化共生を図るとても素晴らしいものだと思いますが、住民の中には企画に積極的に参加しない方もいるみたいです。

しかし、この記事を読む前までの私であれば「なぜせっかくの企画なのに参加しないのか」と苦言を呈していたのですが、読み終わった後で考え方が少し変わりました!!

この記事ではとある言葉を用いた解釈をしています。続きます!

「儀礼的無関心とは、アメリカの社会学者によって提唱された概念です。他人同士が比較的近い距離感で一定時間を過ごす際に、他人が自分の存在に対して違和感を抱かないよう最低限の配慮をする礼儀作法を意味します。儀礼的無関心の例としては、たまたま電車で隣り合って座った人と挨拶をかわしたりはせず、 普通は話しかけることもないといったケースが挙げられます」

「儀礼的無関心の考えは、コミュニティ形成にも応用することが可能でしょう。ある文化を尊敬することと、その文化に基づくふるまいを実践するどうかは、別軸のことです。異文化に対する尊敬の念には、当然その文化への理解が伴いますが、それは必ずしも異文化と直接接触することを必要とはしません。ゴミ捨てや騒音を出さないといった「ルール」を守ることは、共同生活におおいては必要です。ただし、誰がそのルールを決めているのか、なぜ従うべきなのか、多文化社会にあってはその点が伝わるように配慮するべきでしょう」

この最後の文を読んだ時に納得する自分がいました。企画の不参加者に対して、今までの私の考え方は「もっと共生のために協力しようよ」という押し付けであると気づきました!

最低限のルールは守りつつ文化の実践までは強要しないこと、文化の理解と実践を分けて考えることが大切であると気づきました!!

もし、読者の皆さんの周りでも文化の違いに困っている人がいれば、もちろん教えてあげて欲しいのですが、だからといってそれを強制するのではなく、お互いに納得する形で分化を理解して頂ければと思います!!

   

参考資料:https://www.google.co.jp/amp/s/honichi.com/news/2020/04/03/chinseatshibazono/amp/

筆者:林

今日の一言:最近、外に出られないということもありエレキギターを買いました笑

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